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豪州自転車横断RECRUIT

夢の中へ “VIVA AUSTRALIA"
作詞  ほりけん
作曲  ほりけん
今、朝日にお前を見つけた
遙かな世界へ巣立っていった
お前のひたいに流れる汗と
希望を捨てない、瞳を見つけた
オーストラリアは若者が住む国さ
故国(ふるさと)は、遠くの海で
見知らぬ所へ出掛けていった
お前がいつかは大きくなって
帰って来るのを、いつも待っている
オーストラリアは若者が住む国さ

☆間奏☆

赤土の大地の上に
お前の歩いた足跡と
たったひとつの若者の夢を
朝日の中に残して行こう
オーストラリアは若者が住む国さ

ラーララララ ラララーラーララーララ
ラーララララーラーララ ラーララララララー
たったひとつの若者の夢を
朝日の中に残して行こう
残して行こう
音楽を聴く
Good day ! Wher are you going ?

わたし? わたしは夢の中へ参ります。
もう40年近く前の話なんですがね。
その頃に一杯持っていた夢の中へ。
自転車横断編                  ヒッチハイク豪州一周編     

あらすじ
オーストラリアに渡るまでの船上生活から上陸後のシドニー〜パース間に起こった様々な出来事や日常を綴ります。相棒山崎との考え方の違いなどから来る衝突などがその頃の記録にありますが、日本に帰ってきた現在はすっかりお互いを理解している仲になっており、逆に二人共通の良い思い出でもあります。

あらすじ
密かに抱いていた豪州横断後の単独シルクロード横断の夢がインド・パキスタンの戦争勃発で脆くも破れ去り、そのまま日本へ帰るのも心残りに思い、山崎と別れ、オーストラリア一周の旅に出ます。ここでは自転車旅行で知り合った時より多くの人々が登場します。当然その中には甘い恋の物語も含まれ、20歳という青春を惜しみなく綴っています。



1969年10月。われわれは神戸港を後にした。
高校生時代に抱いた夢を現実にするために父以外の家族にも秘密にしていた計画でした。このころの日本では堀江謙一、植村直巳を筆頭に冒険家と呼ばれる人が多く存在し、われわれもその冒険という言葉そのものに、ある種の憧れを感じた時代でもあります。
思えばそのころの情報量たるや現在のそれとは比べ物にならないくらい貧弱なもので、オーストラリアがどういった国なのか、どこに行けばどんなものに出会えるか等々の情報は無いに等しいものでした。オーストラリアの事情を手に入れようと思えば、東京にあるオーストラリア領事館へ赴き、そこにある英語で書かれたパンフレットを入手するしか手がなかった様に思います。
現在のインターネット時代はそのころに比べると本当にありがたいものだと感じます。
当然その頃にはデジカメもありませんでしたから、写真は総てアナログ。スキャナで読み込んだものばかりですので、当然変色もしています。お見苦しい点がありましたら、大目に見てやってくださいませ。
また、私の年齢も当時は20歳という感受性の強い時期で、50歳を超えた現在では当然物事の感じ方も違うだろうとは思いますが日記その他の記録を基にあのころを振り返って書き綴ってみたいと思います。
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